重森弘淹について

表現とは作者の批評行為であり、
それなくして表現は存在しない

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創立者・重森弘淹(1926〜92)は、同志社大学文学部卒業後、1949年「いけばな芸術」の編集長となり、勅使河原宏氏らとともに、流派を超えた新しいいけばなの方向を模索し始めました。 一方、岡本太郎や花田清輝氏らの結成した「夜の会」、安部公房氏らによる「記録芸術の会」などに参加し、総合的な芸術への視野に立った活動に取り組みました。

1955年頃からは、カメラ雑誌を中心に写真の評論活動を開始し、当時隆盛をきわめていた「リアリズム写真運動」を批判的に継承しつつ、東松照明や 奈良原一高氏らによる新しい写真表現の登場を支持し、さらに現代写真の始まりを告げるウイリアム・クライン、ロバート・フランク氏らの仕事をいち早く紹介、論評するなど、日本の現代写真の動向に大きな影響を与えました。

1958年「東京フォトスクール」を創立。1960年「東京綜合写真専門学校」と名称を変えて発展させ、自らの写真美学や批評精神を展開しつつ、写真家の育成に情熱を注ぎました。

批評家であると同時に教育者である重森弘淹の基本的な思想は、『表現とは作者の批評行為であり、それなくして表現は存在しない』というものでした。

この思想は本校の理念として引き継がれ、今日に至るまで、多くの先鋭的で個性的な写真家を輩出し続けています。

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