池谷友秀さんインタビュー
「乃木坂46」のCDジャケットや高級チョコレートGOVIVAのポスターの写真を撮影するなど、ファッションや広告写真の分野で気鋭の写真家として活躍されている池谷友秀さん、一方で、ご自身のライフワークである「水と身体」をテーマに作品を作り続け、2010年には「PX3 PRIX DE LA PHOTOGRAPHIE PARIS 2010 2nd place」を2012年には「International Photography Awards 2012 2nd place in People」を受賞するなど国内外で高い評価を得ています。2013年にはこのライフワークをまとめた作品集『BREATH』を刊行、また2013年度から第一学科3年生の「写真演習ゼミ・スタジオワークス」も担当していただいています。自身の作品について「この水と人間の姿を通して「生きる」ということを写真の中で表現していきたいと思っているからだ。」と語る池谷さん、その池谷さんの歩みについて、本学のギャラリーフォレストにおいでいただきお話を伺いました。
「水中の世界に引かれ、イタリアンシェフから転身」
-写真を始めたきっかけを教えてください。
高校を卒業してイタリアンレストランで8年間料理人をしていたのですが、その頃ダイビングが趣味で、よく潜りに行ってたんです。そこでプロの水中写真家と一緒のグループになる事が結構あって、その人たちの話を聞いているうちに「水中写真家になると世界中の海をただで潜りに行けるなんて良いな、」なんて単純に思い、自分もプロの水中写真家になりたいと思ったのがきっかですね。
-池谷さんの写真の原点はやはり水中だったのですね、最新作『BREATH』にも繋がるように思えとても興味深いお話です、それで、本校に進学しようと決めた理由はなんですか?
「水中写真家」になりたいと単純に思ってはいたのですが、その頃は写真の事なんて何も知らなかったんで、それでまず写真の学校へ行こうって思たんです。
当時は、インターネットがまだ身近じゃなかったので、まずいろいろな専門学校の学校要覧を取り寄せました。
学校要覧のなかで篠山紀信さん(本校3期生)をはじめ自分が知っている写真家の多くがこの学校の出身者だということが決め手になり東京綜合写真専門学校に入学することを決めました。
-実際に入学してみどうでしたか?
1 年生のクラス担任は渡部良治先生(本校元講師)だったのですが、同級生 の写真を見たり、講義や実習を通して、いろいろな写真があることを知りまし た。でも、渡部先生にはなかなか海の写真は見せられなかったですね。
当時 は、ライブハウス帰りの女性に声をかけてポートレイトを撮影したり、知り合い の女性を撮ったり、女性の写真ばかり見せていました。ライブハウスの前は暗くて、その頃持っていたストロボでは全然光量が足りず、友達のストロボをかき集めて5台くらいのストロボをガムテープで繋いだ急ごしらえのライトで撮影しました。今思うと、 ずいぶん見すぼらしいライトでしたね。 ただ、写真の知識が全くない状態で入学した自分にとっては、海以外の写真を撮ることで、写真 の多様性ということを学んだのではないかと思っています。
入学と同時にレストランの仕事は辞めていたので、その時は写真のスタジオでアルバイトしていました。車を撮影していたカメラマンのアシスタントもしましたね。
2年生になると自分の表現や進路を見据えてゼミナールを選択するのですが、自分は鈴木理策先生(本校26期卒、現東京芸術大学准教授)のゼミにしました。この頃ようやく海の写真を先生に見てもらい、厳しいことも含め色々と言ってもらえるようになりました。
基礎的な理論を教えてくれる講義の時間、撮影やプリントなどの写真の実践を教えてくれる実習など色々な授業がありましたが、そういう授業を通して一番感じたことは写真の見方、読み方はいろいろあるんだということです。時には先生同士も意見が割れたりして、そういう部分も含め面白いと感じました。
在学中の2年間で、自分の写真を色々な角度から見られるようになったことが一番の財産だと思っています。