© eitaro yoshioka

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東京綜合写真専門学校

卒業生インタビュー

吉岡英太郎さんインタビュー

今年度より第二学科2年生の写真演習ゼミを担当していただいている吉岡英太郎先生、恵比寿に「アヴェニューA」というスタジオを持ち、常にクリエイティブな広告写真を撮り続けています。今回は、その吉岡先生の歩んでこられた道のりを先生の仕事場にお邪魔してお話を伺いました。

「はじめ親は反対でした」

-写真に興味を持ったきっかけを教えて下さい

父親が版画家で小さい頃から絵画に興味があって、最初は自分も画家になろうと思っていました。

中学生の頃、家にあった一眼レフカメラを触っているうちにだんだん写真に興味がわき始め、それから本屋さんで色々な写真集を見る様になりましたね。また、その頃やっていたテレビドラマで田村正和さん演じるカメラマンを見て「かっこいいな」と思い写真家を目指すことにしました。

父親が写真家の秋田淳之助さんと知り合いで、彼の所属するAPA(日本広告写真家協会)写真展の額装を家でやることがありました。その時にオリジナルプリントを沢山見ることが出来たのも写真に興味を持つ大きなきっかけの一つですね。

-本校を選んだ理由は何ですか?

最初は親も写真の道へ行くのは反対でしたが最後は納得してくれました。それから秋田淳之助さんに相談したところ、彼の出身校であり、ご自身が先生をしていた東京綜合写真専門学校を紹介してくれました。他の学校も調べましたが3年制でしっかり学べるということ、OBに凄い写真家がいっぱいいることが決め手になって、東京綜合写真専門学校へ行くことにしました。

(※秋田さんは本校の5期生)

「とにかく街へ出て撮影」

-実際に入学してみてどうでしたか?

初めて校舎を見たときはユニークな建築だなと思いました。授業が始まると当時活躍されていた写真家や批評家の先生が沢山いらっしゃいました。校長の重森先生、田中雅夫先生、飯沢耕太郎先生など、、、暗室実習の藤田直道先生にはいつも怒られてばかりでしたね。

-学生時代の生活は?

1年生のクラスは秋山忠右先生が担当でスナップ写真を撮ることから始まりました。街で知らない人達をスナップするのですがレンズの距離計を1.2メートルに固定して正面から撮影する。最初は怖くてなかなかシャッターを押せませんでした。それでも撮影を続けていくと、だんだん人の瞬間の表情や仕草が面白く写ってくるようになり、1年生が終わったときには学年で一番多く撮影していました。フィルム約600本くらい撮影したと思います。

とにかく撮影と暗室作業を毎日のように繰り返しました。殆ど窓のないアパートでしたから昼間でも暗室作業が出来て、まるで暗室に住んでいる感じでしたね。撮影から帰ってくると、フイルム現像と密着焼きをその日の内に済ませ、夜中から朝にかけてプリントをする。授業が終わると街へ出て写真を撮りに行く。それを2年間繰り返しました。


「半年間は積木を半年間はリンゴを」

-写真を仕事にしようと思ったのはいつ頃からですか?

三年生に上がる頃に就職のことを考え始めました。生活をするためにはコマーシャルフォトグラファーかなと考えていたのと、その頃有楽町で見たNY在住のコマーシャル写真家 HASHI(橋村 奉臣)の写真展を見て感動し写真を仕事にしようと決めました。

当時、三年生のスタジオ系のゼミには人物撮影をする吉田大朋先生のゼミと物撮りをする木之下晃先生のゼミがありました。私は木之下ゼミを選択しました。

前期は4X5で積み木の撮影ばかり。それもモノクロで一灯ライティング。100カットが課題でした。画面の中での構成を考えて撮影する、積み木は1個から始まりだんだん数を増やしていき、最後は積み木が5個に増えました。積み木なのに積んではダメという条件付きでしたね。先生が出来上がりをチェックして、「少し空間を考えろ」とか「前後にずらせ」とか「ライトを少し上げて影を考えろ」など色々とアドバイスしてくれました。

後期になると被写体を自分で決めそれを撮影ということになり、私はリンゴを被写体に選びました。カラーリバーサルフイルムでリンゴばかりを半年間撮影しました。結局、卒業展覧会もリンゴの作品でしたね。その時は大変な作業でしたが、その撮影が今の仕事にすごく役立っていると思います。

三年生になると授業にも余裕がでてきたので、アメリカに本社を持つ『トンプソン』という制作会社でアシスタントのアルバイトを始めました。東京綜合写真専門学校の卒業生も数人働いていましたね。最初の頃はスタジオの雑用ばかりでしたが、慣れてくると4X5や8X10のフィルム交換を任されるようになりました。

「会社を辞めソウルへ、そしてニューヨークへ」

-学校卒業後は?

卒業してもそのまま契約社員としてスタジオに残ることが出来ました。土曜日、日曜日は自由に会社のスタジオを使用することができて、しかもフイルムも印画紙も無料でいくらでも使うことができて現像代も無料!、すごい恵まれた環境でした。そんななかで毎週撮影をして夢中で作品創りをしました。

アシスタント時代の終わり頃にはマイケル・ジャクソンの日本公演、全国13カ所の撮影も任されたりしました。

-その後は

社内で別の部署への移動が決まったときにトンプソンを辞めることにしました。

辞めたのはちょうどソウルオリンピック前ぐらいでしたね。オリンピックで街が変わっていく様子を記録しようと8X10カメラを持ってソウルへ撮影しに行きました。

その頃、友人とよく呑みに行っていたお店があって、そこには多くの外国人が出入りしていました。世界中の大使館員とかモデルさんとかです。トンプソンで働いていたというと、モデルさんからポートレイト撮影をよく頼まれました。そのことがあってアメリカへ行こうと思いました。アンセル・アダムスが好きなので西海岸にも興味がありましたが、広告写真をやりたかったのでニューヨークへ行くことにしました。

ニューヨークではギャラリーやスタジオへ作品を持って行きました。スタジオや個人のフォトグラファーのアシスタントもやりましたね。言葉の壁もあってなかなか苦労しましたが、結局10ヶ月いました。

「青山、広尾、恵比寿とスタジオを移して」

-フリーカメラマンになったのはそれからですか?

そうですね、アメリカから11月に帰国して仕事もないのに12月1日にフリー宣言をしました。

以前から「フリーのフォトグラファーは事務所を青山に」というのがありました。なので、フリー宣言から二週間後には青山に事務所を開きました。ワンルームでしたけどね。それから毎日営業です。一日に何十件も電話をして会ってくれる人がいればポートフォリオを見せに行くということを繰り返しました。二回、三回と会ってくれる人には物撮り、ポートレイト、風景など毎回違う系統の写真を見せました。

数百件に連絡を取って会えるのが10%くらい、さらに仕事になるのがそのうちの2%くらいでした。

ニューヨークでは言葉の壁がありましたが、日本では言葉が通じるので営業は苦には感じませんでしたね。最初の仕事は雑誌のインタビューでモノクロ写真でした。

事務所が手狭になってきたころ写真学校の友人からスタジオを共有しようという話があり広尾に引っ越しました。スタジオは数人でシェアしていました。今のスタジオの名前「アヴェニューA」はその時に付けました。この名前はニューヨークにいた頃よく遊んだ通りの名前です。

仕事は順調に増えていましたが、まだアシスタントを雇うことはできなくて友人同士でお互い助け合っていましたね。やがてみんなが独立していき、2001年に現在のスタジオ(恵比寿)に引っ越してきました。この頃になると写真学校の後輩をアシスタントとして雇うことも出来る様になっていました。

-吉岡さんは初期の頃からデジタル化に力をいれていらっしゃいましたね。

仕事を始めた頃から数年は100%フイルムでしたが、1997年にMacを入れ、スキャニングをして納品していました。2004年に周りの印刷会社、出版社がデジタル化していくのに合わせて事務所も100%デジタルに移行しました。2004年には8800万画素のハイエンドカメラを導入しました。今までに40数台のMacを入れましたね。

1998年にはHPを作り、CD-Rが世に出ると、写真をCDに焼いて色々なところに渡すような営業をしました。そうすると相手が何時でも私の作品を見ることができると考えたんです。そうやって仕事が入ってくるようになりました。トンプソンの時に覚えた宝石の撮影は誰にも負けない自信がありますし、今のスタジオはキッチンも付いているので料理写真も撮れます。人物も含め全ての撮影に対応できます。

「とにかく沢山写真を撮ること」

-日吉で学んで、今の仕事に活かされている事はありますか?

被写体との距離ですね。どのくらいの距離でその被写体を見たいか、見る視点が一番大切だと思います。この事は在学中に、街で人の写真をそして積木やリンゴを、とにかく写真をたくさん撮影をしていくうちに学んだことです。

-最後に

卒業してから今まで止まることなく写真の仕事が出来たのは、素晴らしい人達に出会えたこと、素晴らしい環境が周りにあったこと、その事が今に繋がっていると思います。

今年から母校の東京綜合写真専門学校でスタジオワークの授業をしていますが、最近の学生は真面目だと思います。授業では学生1人1人が何を求めているか、何を覚えたいかを見て、テクニックを中心に教えています。後輩を育てていくのは難しいですが楽しみでもあります。

吉岡英太郎 さん 本校写真芸術第一学科第28期卒業生 、フリーランスフォトグラファー 恵比寿にスタジオ「アヴェニューA」を開設、2013年より本校講師、第二学科2年写真演習ゼミを担当。
「アヴェニューA」webサイト http://www.ave-a.com/index.html

2013年10月22日 吉岡さんのスタジオ「アヴェニューA」にて
聞き手ー森田衣起(本校講師)

〒223-0051 神奈川県横浜市港北区箕輪町2-2-32
TEL:045-563-3077 | FAX:045-563-2050